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2018年度(公社)鹿児島県地質調査業協会青年部会 フォトコンテストに寄稿
長島の横穴式石室が露出した、古墳を撮影した写真です(図-1a)。この小浜崎古墳群は、「3世紀後半に畿内で発生した高塚古墳文化」の「九州西海岸における南限地帯」と、現地の案内板には記されています。板状節理の発達した安山岩溶岩が、石室構築に有効活用されている様子が窺えます。
海岸線に出ると、ほぼ水平の板状節理が卓越(図-1b)した海食台が広がります。長島の古墳群は、八代海沿岸と類似した横穴式石室が多いそうです。北方から進出してきて、「隼人」たちを支配下に治めた人々は、海岸や崖に幅広く露出した板状の安山岩を切り出して、石室の構築にうまく活用したようです。
付近は、近年の20万分の1図幅では、長島火山岩類※1と総称されている輝石安山岩が分布します。
長島は、はるか昔は、現在の霧島火山群と同様の火山体であったのでしょうか?しかし、長島の北西部では、分布する火山岩は、約250万年前※2と、霧島や桜島と比較し、はるか古い年代に形成されているにも関わらず、比較的、平坦面が保存されています。この平坦面は、西側に向かって緩やかに傾斜しており、溶岩の噴出源は東海岸側にあったのでしょう。さらに、南北走向の活断層によって、東側が隆起した地形を示すことが指摘されています※3。
古墳周辺の平坦地形は、安山岩が流動しやすく、広く堆積面を形成した、長島火山岩の特徴を反映しています。また、長島の東部が隆起傾向にあったのに対し、西北部は隆起が比較的緩やかで、海食台を形成する程度に留まったため、強い侵食を受けなかったことも、影響していると推定します。
現在史跡となっている古墳群は、長島の西海岸に数多く分布し、前述の長島火山岩の性質と地形発達史が、耕作や古墳作りに好適な、平坦面や石材を提供したと想像します。勇猛な「隼人」たちとの勢力争いを繰り広げた、北方から進出した古代人たちは、対岸の天草(図-1c)を眺め、先祖たちの故郷を思い出していたかもしれません。
※1 斎藤ほか(2004): 20万分の1地質図幅・同解説書 八代及び野母崎の一部.
※2 長尾ほか(1999): 不均質なマグマソースから生成された後期中新世〜中期更新世の肥薩火山岩類-火山岩の分布と化学組成の時空変化からの証拠-. 岩鉱, 94, 461-481.
※3 九州活構造研究会(編)(1989): 九州の活構造, p418.
2019.07.01 UP
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